『世田谷233』の作家さんを不定期でご紹介するコーナーです
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 【 !box pick up / No.004 】
 ■name : 綱島礼子さん
 ■box no : A-14
 ■URL :

今回のボックス・ピックアップは、ベルギーやニューヨーク等、海外にも積極的に出展なさっている、墨文字アートの綱島礼子さんにお話をお伺いしました。

【素材が伝えるもの】
中根:綱島さんの作品って、“受け手側が想像力を刺激される”という意味で、とても自由な印象を受けたのですが、ご自身ではそういうことを意識して作品を作っていらっしゃるんですか?

綱島:意図的にそうしているわけではありませんが、そういう風に自由に楽しんでもらえるのは嬉しいですね。私の作品はいわゆる“書”ではなくて、自分が感じたことを墨と水と紙いう素材を組み合わせることによって表現しているんです。私は自分が体感したことは人にも伝えたいと思っているんですよ。自分ひとりの中で閉まっておくのはもったいないという気持ちがあるので。だけどそれは強制的なものではありません。例えばこれはひらがなの「い」を表しているんですが、そういう内容が伝わるかどうかというよりも、ご覧になった方がそれぞれにいろんなことを感じたり思ったりしてくださることの方が重要なんです。

中根:これはひらがなの「い」だったんですか。気付かなかった(笑)。単純に棒と丸にも見えるし、地平線と月か太陽のようにも見えます。そういう具体的なモチーフではなくて、何かを象徴しているようにも見える。面白いですね。素材は本当にシンプルなのに、表現の仕方や感じ方は無限なんですね。

綱島:そうですね。結局、書に限らず、自由にやればやるほど、素材的には単純化されていくと思うんですよ。かといって、これだけ単純になっても、まだまだ墨の状態や湿度なんかに左右されますからね。だから表現する側の人間にとって大切なのは、しっかりと素材と向き合うっていうことだと思うんです。そして、自分で納得のいくものじゃないと外に出せない、ぐらいの気持ちで取り組むことですよね。作品を見て評価をするのは見る側の人たちがそれぞれの価値観で行うわけですから、それに対して自分の最高のものを出さなければ失礼じゃないかな、という気持ちがあるんです。

中根:素材と向き合う、理解するっていうのは本当に大事ですよね。僕は、単純に鉄とか石とか扱いにくい素材を使っている作品、というだけで興味を惹かれるんですよ。素材と戦うというか、ぶつかり合っている感覚が伝わってくるようで、それだけでわくわくしたりしてね。僕自身は何も戦っていませんが(笑)。しかし、評価に関して思うのは、本当に一生懸命に技術とか想いとかを込めた作品であれば、あんまり他人の評価は気にならなくなりますよね。

綱島:そうなんですよね。「いい」と言ってくれる人は少なくても構わないんですよ。自分がいいと思ったことに共感してくれる人が一人でもいるんだ、ってということが充実感につながるんです。中には最初から批判的な見方をする人もいますけど、そういうのを気にしていたら続けられないですね。
だから見る側の人ももっと自由に楽しんでもらいたいと思います。私は知り合いのギャラリーを通してべルギーのゲントという町で毎年開催されているアートフェアやニューヨークのアートエキスポにも出展させていただいているんですが、やはり海外の場合は本当に先入観無しに見ていただけます。日本の場合はまだそういう部分で閉鎖的というか、慣れていないところがあるように感じます。

中根:アートに対して「自分なりの見方でいいんだよ」ということが許容されているかどうかということもあるだろうし、単純にアートに触れる機会が少ないということかもしれませんね。

綱島:そうですね。もちろん、海外に出すと逆の意味で厳しい面はありますよ。今まで自分が培ってきたものが、あっさり無視される場合がある。向こうの人は、作品を見て、それがいいと思って欲しければ購入するし、作品の値段に疑問を持てばきっちり説明を求めてきますね。「なんでこの作品がこんな高いんだ」って。そのときに、いくらその人が日本で有名であっても、「日本では有名な先生が書いた作品だから」なんて説明では理解されないですね。当たり前の話ですが、純粋に作品で判断されるっていうのは、当然そういうこともあるんです。

ポストカードと作品集『墨の情景』

【共有するシアワセ】
綱島:今、問題だなと思っているのは、日本にはまだまだ発表の場所が少ないと思うんです。どこでやるかということで作家はつまづくんですよね。最近はここみたいなところも含めて、いろいろと出てきているので、良くはなってきていると思いますけどね。
作品を発表すると言っても、場所、時間、経済的な問題などが色々入ってくるのでなかなか気軽にとは行きませんよね。でも何かつたえたい事があるなら先ず誰かの目に触れるということが一歩だと思うんですね。見なければ何も起こらないですから。しかもなるべく自分が知らない人に見てもらうことが大切ですね。知っている人は最初から分かっているという目で見ますから、ありがたい面もあるし、甘えてしまう面もあるので。まったく接点が無い部分から入ることが大事だと思うんです。

中根:作品を見てもらうことが、作る側と見る側によるコミュニケーションだとすると、まず自分から最初に行動を起こすと言うのは本当に大事だと思いますね。

綱島:最近はインターネットがありますから、発表する場所を探すのも比較的簡単になりましたけれど、私はやはり自分の足で歩いて探しています。だから情報量はは少ないかもしれませんが、ネットで調べるだけでは見えないこともわかると思うんですよ。そうは言っても海外で作品を発表するのは結構大変ですし、特にこういう作品は国内のギャラリーでもなかなか難しいですよ。私も個展やるときに幾つかギャラリーをまわりましたが、書というだけで引いてしまうギャラリーもありますから。「大体書道の先生はお高いんだよね」って(笑)。もちろん、私を含めてそうじゃない人もたくさんいますが、まだそういう目で見られているところがある。

中根:特に書は伝統も歴史もありますから、実際はどうか別にしてもそういう先入観はありそうですね。でも、自分たちの国、日本の文化なわけですから、もっと国内でも広がりを見せて欲しいし、外にも出て行って欲しいなあ。そういう意味では綱島さんは、国内外での発表はもちろん、文化センターの講座も持たれる等幅広く活躍されていますよね。


綱島:文化センターなんかでも、書を学ぶ人は少ないようなんですよ。だけど、だからと言って日本の伝統文化である書に関する講座をなくすわけには行かない。だったら、墨文字アートはどうだろうということで、お話をいただいたんです。私自身はそういう場所で人に教えると言うことは全く考えてなかったんで、最初はお断りしたんですが、まあ、これで伝統的なお習字の方をやろうというきっかけになればそれでいいのかなと思って引き受けさせて頂きました。ここでは、まず墨を磨るというところから始めたり、最初に文字ではなく1本の線を引いてもらったり、私なりのやり方で自由にやらせていただいています。でもやっぱり人に教えるということは、難しい反面、自分も教えられることがあって楽しいです。

中根:墨文字を通して様々な人たちと交流が出来ると言う意味では、教室というメディアは意外と綱島さんの姿勢に合っているかもしれませんね。前に教室のお話を伺った時に、書いた作品を捨てずに1ヶ月ほど時間を置いてあらためて見てもらう、っておっしゃっていたのが印象に残っているんです。そういうのって本当に大切だと思うんですよね。要するに、今度は客観的に見る側の立場で自分の作品と向き合うっていうことですよね。そういう気持ちで見るときっと作品も違って見えると思うし、自分のこともあらためて見つめ直すきっかけになるんじゃないかなと。だから、何かを伝えたいとか、知らしめたいとか、そういう個人の想いが出発点でもちろんいいと思いますが、綱島さんの作品って、そういう論理を超えたところで、訴えかけてくるものがある気がします。

綱島:私はやっぱり自分を信じるっていうことが大事だと思うんですね。本当に努力をして苦労を重ねて創り上げてきたのであれば、自分の作品を信じていいし、認めてくれる人も大勢ではないかもしれないけれどきっと現れるだろうと。その結果そういう人と何か共有できれば素晴らしいことだと思うんです。もちろん全ての作品がそうなるとは限らないけれど、それはその作品の持つ運命というかそういうものなんだと考えればいいと思うんですよ。だから、233での発表は私にとって他の人とつながる入口みたいなものですね。(2004.06.11)

<<< 編集後記 >>>
素材と向き合う誠実さと見る側と同じ視点に立つ潔さを個人的にはとても心地良く感じながら、作品を拝見しています。綱島さんには作品だけでなく、いつもいろんなお話をさせていただいて、僕もとてもいい影響をいただいています。これからもがんばってください。
ちなみに、6月14日(月)〜26日(土)までギャラリー北井にて開催される『墨香展』に参加されるそうです。ぜひぜひ。(nakane)